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ムーンライトで感じる尊さ

友達に勧められて見てきました。

 

ほぼほぼ予備知識なしで観て来たのですが、何とも言えない映画でした。

ただ、この「何とも」と言うのはネガティヴな物では無く、言葉で表しにくいという物です。

以下、ネタバレ含みますので観たくない人は、戻って頂けると幸いです。

 

 

表現として映像美や、音楽が素晴らしい作品なのは間違いのない作品。

月明かりの蒼は、息をのむほどの世界観でした。

登場人物の皮膚の黒と月光に照らされる青、シャツの白、そして暖色系の色彩も全て違和感なく収まっていたのが印象的。

音楽はちょっと違和感を覚えるものもあったけど、様々な音楽が使い分けられていて、音質の良い映画館で観られて本当に良かったと思う。

 

テーマとしては人を愛し、愛される事の難しさを表現しているのかな?と自分は感じました。

シャロンの一生を幼少期、少年期、青年期の三部に別けて、それぞれ別の俳優さんが演じていました。

そしてそれぞれの時代で貧困や麻薬、ネグレクト、いじめ、セクシャルマイノリティーなど様々な問題点を扱っているように思えます。

 

しかし、本当にそれだけが描きたかったのかと思うと、また違う気もするのです。

そうであるとすると色々なテーマを取り扱いすぎて、焦点としてはぶれてしまっていると思うのです。

その問題点に焦点があるとすれば、これはアカデミー賞を受賞していないのではないでしょうか。

 

誰もが思うように生きられない中で、流されざるを得ない状況で、可能な限り人は選択をする。

それが望み通りでないとしても、人が1日を生きる為に、生き延びる為には仕方のない事。

これは地球の裏側であっても、東京であっても、田舎であっても変わらないでしょう。

その悩みの業の深さや、危険度は様々であろうとも葛藤の無い世界など、まず無いと思います。

(もしそんな人生があったなら、深みがなく味気の無い物だと思いますが。)

その中で、自分を自分で殺さないように、また在りたい自分になるように、もがきながら生きていく。それでも、人は愛されるとは限らず、また認められるとは限らない。

でも、そんな針のむしろの中でお互いの事を認めて、ひと時でも認め合える。

その事を描いたのが、本作では無いのかと私は思うのです。

それは本当に奇跡のような物で、愛する側と、愛される側が同一の時間軸に存在して初めて感じられる美しい物。

どの年代でもシャロンに愛情は注がれているのだけれど、それが一致しない。

フウアからの愛情も、ケビンからの誘いも、一方通行であったり、すれ違いによって成立をしない。

シャロンが欲しいと感じていたであろういじめの無い世界や、平穏な家庭の日常には届かない。

それが、青年期のブラックとなって初めて通じ合うことができる。

母親ともケビンとも。

特にケビンとのやりとりは、非常に美しく描かれていました。

月の光と潮騒に包まれながら、お互いの気持ちを確かめ合うその光景は、性欲ですら美しく感じられました。夢の中で描かれる、ケビンの性交とは全く別の描かれ方をしていたのが印象的です。

自分はストレートの男ですが、そう感じました。

でも、だからと言ってこれがLGBTQをテーマとしているのでは無いと私は述べました。

そこが、ケビンがバイセクシャルであったりする所に現れているのだと思います。

これがゲイ同士のカップルであって、それらの社会的な制度に対して抵抗を見せるのならば、それがテーマなのでしょう。

 

でも再会したダイナーでケビンが前妻との子供の写真を見せることによって、シャロンが「自分は受け入れられてもらえるのだろうか?」いう葛藤こそが、描きたかったテーマの一端なのではないかと思います。

マイノリティーの要素を加えることによって、一人の人間が、愛し愛され、受け入れられる難しさを。

そして、だからこそ美しくて尊いものであると表現しているのではないでしょうか。

 

海辺でのキスやふれあいも。

ダイナーでジュークボックスを通じて語られる思いも。

ケビンの住居が海辺であることの嬉しさも。

許し会える人と、精神的にも肉体的も寄り添うことも。

金歯やイヤリング、アメ車と筋肉で武装した男性がみせる、「自分は受け入れられるのだろうか」と感じる可愛さやいじらしい仕草が、その苦悩が人は誰でも同じ存在なのだと物語っている。

私にはそう感じられました。

でも、本当はこの事に関して、セクシャルマイノリティーの事を気にしないで観れる映画として受け止められる世の中になれればいいのに、と思いました。この映画がセクシャルマイノリティーに対して偏見を持っていない事は、映像の演出を通してはっきりと分かります。でも、それは困難として、シャロンが超えなくてはならない物として、表現されている側面が少なからずあると思うのです。一人の人間を好きになるためにはある程度の条件が、故意にせよ無自覚にせよあるとは思います。例えば年上の落ち着いた人が好きだったり、同好の士であったり、容姿や匂いなど様々な物があると思います。その一つとして、セクシャルマイノリティーがあって、それがごく自然に受け止められる。つまりはカミングアウトなんて言葉自体が意味を喪失する日が来る事を私は願っています。

 

シャロンの最後は静かなハッピーエンド(あくまで許しあえる人と出逢えるという側面のみですが)として綴られますが、それは映画の中の特別な世界ではなくて、どこにでもきっとあるはずだと、礼賛される所にメインテーマがあるように私には思えるのです。

だからこそ、分かりやすく、ドラマティックに描かれず、セリフとしても多くを語らないドキュメンタリーに近い作品なのだと、観終わってからしばらくドライブをしながらしみじみ感じた作品でした。

 

観た後の感想は別れる可能性が高い映画でしたが、素晴らしい映画であったと思います。

Rー15であったけれど、いつか息子達と観たいと思わせる映画でした。